『たぬきがいた』は東京の多摩ニュータウンを舞台にした作品です。多摩市在住で映画監督を目指す若者と、彼の夢を応援すべく結集された市民応援団により、映画は製作されました。新人監督にとっても私たち市民にとっても、はじめての映画作りは、とっても大変で、サイコーに楽しい日々でした!(文:市民応援団 坂田明子)
クランクイン前から話しをはじめましょう。「たぬきがいた」の監督、榊くんから映画を作るという話しを聞いたのは、2012年の冬ごろ。それまで短編の自主映画作りや、助監督などはポツポツとやっていた彼が、映画が好きだという事はみんな知っていました。榊くんは地元のボランティアイベントや、地域での映画上映会の当日スタッフなどに度々顔を出していました。打ち上げにも積極的に参加していたので、みんなともいつの間にか仲良よくなり……。
そんな彼が、いよいよ自分で映画をつくる事を宣言!私たちの感想としては「多摩市在住の監督が映画を撮る」というより「飲み友達の榊くんが映画撮るみたいだよぉー」という感じで…もっと身近な雰囲気で盛り上がっていました。知っている友人が映画を撮ろうとしている……こりゃなんだか面白そう。だったら応援するっきゃない!そんな軽いノリでスタートしていきました。
榊監督の映画制作を支える応援団を結成したのには、いくつかの理由がありました。基本軸としてはもちろん「榊くんの映画作りを応援しよう!」という事でしたが、それよりも大きな理由として、映画作りの壁を突破するため……そんな理由での結成でした。「たぬきがいた」は我々が住んでいる多摩市を舞台にした映画なのですが、市が主体となり制作する地域PR映画ではありません。市民の皆で協力し、人との繋がりでスタートした映画です。なので当初は、地元の施設などをロケ場所として借りるのにもひと苦労でした。「一人で交渉しに行っても、なかなかロケ場所として借りられないんだよね……」なんて榊くんも弱音を吐いていたり。主人公が通う小学校や、図書館、たぬき姫が住む団地の部屋をはじめ、その他にも台本の中には様々な場所が書かれています。だけども、お目当ての場所に行って交渉しても、なかなか良い返事は貰えません……。見ず知らずの監督志望の若者に「はい、どうぞ」と簡単に貸してくれる人はそういないのが現実です。
そんな時、誰かが呟きました。「多くの市民が応援している映画だと伝われば、少し状況が変わっていくんじゃないかな」なるほど!一人の力では厳しいが、多くの市民が応援している映画だと伝われば、事態は好転していくかもしれない。そんなことがあり、応援団は結成されました(パチパチ!!)。まず最初にやったのは応援チラシの作成。有志の方にはお名前も掲載させて頂き、市民が一丸となって応援していることをアピール!実際、このチラシを配ると効果がありました。我々応援団もチラシを配りはもちろんですが、周りのみんなへの声掛けをたくさんしました。撮影に入るまでには応援団の輪もさらに広がり、クランクイン前にはキャストの皆さんも呼んで、キックオフパーティも開催できました。楽しかったね。良い思い出です。でも、いよいよここからが本番。たくさんの応援に支えられ、撮影初日を迎えます。
2013年、6月末いよいよクランクイン!?この物語の主人公は小川琢磨少年、10歳。小川一家が暮らしている山梨の田舎のシーンから撮影はスタートです。当初は実際に山梨へ行き撮影しようと思っていましたが、キャストのスケジュールや、さびしい制作費の事を考えると、遠出はかなり難しいことが分り……。悩んでいた時、知り合いから八王子の由木地区の牧場を紹介してもらいました。由木地区にはまだ美しい自然が残る場所が多くあるのです。そんなわけで、オープニングは八王子市からスタート。主人公の琢磨少年を演じる伊藤ひなたさんはお芝居自体が初体験。はじめは芝居のやり方も分らず、ぎこちない面もありましたが、初々しくて新鮮な感じ。撮影現場にもすぐに慣れ、気がつけば誰よりもおしゃべりで周りをリード。ガッツがあり、ポジティブな子でした。
榊監督も長編作品は、はじめての挑戦です。最初は戸惑い、悩みながら演出していたように感じました。思うようにスケジュールも消化できず、撮りきれない日もあったり・・・。そんなピンチな場面でも、周りのスタッフに支えてもらえている印象。特に撮影監督の山田達也さんには、さまざまな所で助けてもらいました。山田カメラマンは監督の意図を汲み取りつつ、その上を行くような、きらめく映像美で、私たちの街を映像で残してくれました。長年この地域に住んでいる私たちも、街を再発見できる素敵な場面に仕上がっています。
撮影3日目からはいよいよ多摩ニュータウンでの撮影もはじまります。八王子をあとにして、おとなりの多摩市へとやってきた撮影隊。でも撮影はメインスタッフがやるんだし……応援団の私たちも何を手伝っていいのやら。手伝う事などあるのだろうか……。そんな話しを応援団同士ではしていたのですが…否しかし、いざ撮影がはじまると手伝う事はたくさんありました!撮影場所へのスタッフの送り迎え。食事の準備。ネットでの協力呼びかけ。そしてエキストラ出演etc...やることはホントにたくさん。
嬉しかったのは、スタッフ・キャストの皆さんが頑張れるようにと、たくさんの差し入れを頂いたこと。応援団の主婦たちは、日ごろの料理の腕前を活かして、食事を作り胃袋を支えました。スタッフキャストも大喜び。美味しいご飯を食べると、力を沸き上がってきますね。そして、撮影以外でもちょっぴり協力。少しでも制作費の足しにして貰えればと、地域のフリーマーケットに参加!みんなから寄付していただいた服や食器、小物などを販売しました。意外と売れて……。売り上げを『たぬきがいた』制作費にカンパしました。出来る範囲で、楽しく協力。そんなスタンスでの応援が続きます。
ロケ場所探しで難航していた小学校。遂にOKしてくれた学校がありました。実際に生徒さんが通われている、多摩市の瓜生小学校です。先生方や親御さんの協力により、瓜生小の5年生にもクラスメイト役として、出演してもらいました。真夏の炎天下の中、長丁場の撮影。メインキャストの子どもは、多摩市以外に住んでいる子です。でも、クラスメイトは多摩市の瓜生の生徒さん。クラスメイトの設定なのに、お互い、撮影日にはじめて顔を合わせました。最初は、両者ともぎこちない雰囲気。でも撮影が進むにつれ、そんな気分はどこへやら。すぐに打ち解け、気がつけば仲良しに。子どもってすぐ仲良くなれるのが良いですね。限られた時間の中、子ども達は頑張ってくれました。はじめてのお芝居はどうだったかな。何年後かに楽しい思い出になってくれたら嬉しいな。暑い中、どうもありがとう。
7月19日からはベテラン女優、吉村実子さんの登場シーンの撮影がはじまりました。『豚と軍艦』や『鬼婆』、海外でも評価の高い日本映画史に残る作品にご出演されてきた女優さんです。昔からスクリーンで観ていた女優さんなので、我々もとても緊張しました。吉村さん扮するたぬき姫のシーンは、団地の部屋の中がほとんど。昔ながらの団地の部屋はとても狭く、撮影スタッフが入ったら部屋はぎゅうぎゅうになるほどでした。『たぬき姫の団地のシーンがこの映画の肝になる!』と、監督も気合い充分。撮影部も、部屋のライティングにこだわり、撮影を進めていきます。琢磨とたぬき姫とのお芝居の遣り取りもじっくりと丁寧に。榊監督も、今までで一番ピリピリと緊張して演出をしていました。息を呑むようなシーン、吉村さんのお芝居にただただ圧倒されました。当初の撮影日数より、2日オーバーして吉村さんのシーンを終了。吉村実子さんに出演いただけたこと、とっても充実した経験でした。
2013年7月29日。朝から小雨がパラパラとちらつく中で、いつも通り撮影はスタート。この頃になると、榊くんも大分『監督』に慣れて来た感じ。撮りたいカットは相変わらず粘っていましたが、以前よりもスピーディに現場を回していました。何か問題が起きてもフレキシブルに対応していて……堂々として監督っぽくなっているなぁ、とちょっと感動。いろいろ経験していく内に、腹が坐ってきたなー。
この日の撮影は夜まで続きました。主人公・琢磨役の伊藤ひなた、琢磨の親友になっていく新しい仲間、村上真都ラウール、市原叶晤、正木亮太。みな揃って本編クランクアップです!みんなよく頑張ってくれました。貴重な夏休みをどうもありがとう!今まで本当に大変だった撮影も今日で終わりです。予定通りに進まず、常に不安でいっぱいの毎日でした。でも明日からは無いと思うと、とても寂しい。そんな気持ちにさせてくれるはじめての映画体験でした。榊「坂田さん、まだ映画作りは終わっていませんよ!」えっ、どういうこと?
映画は撮影して終わりではありません。撮影後も完成まで長い道のりが続きます。先ずは、撮影した映像の編集作業。『たぬきがいた』本編の撮影素材は、なんと60分テープで9本分ありました!単純計算するだけで9時間分の素材があります。これを今から2時間にまとめなければなりません。監督は日々、パソコン画面と睨みっこ。孤独な編集作業のスタートです。苦労して撮影した映像を選ばなければいけません。かなり苦しい作業ですね。数ヶ月後、完成版の上映時間91分がロックされました。監督が編集した映像を、撮影の山田さんとカラーコレクション。撮影した映像の色味を微調整していきます。そして、北村壮太さんとの音楽作り。荒木さん&野村さんにお願いして、英語字幕も作りました。そしてそして、最後の仕上げとして、録音部のスタッフさんとの音録り&整音作業。登場人物たちの足音や、転ぶ音、丘を駆け上がるシーンなどを、録音部と監督が実際の映像に合わせ、実際に走り、転び、崖を登り、その音を加えていきます(笑)。撮影は夏でしたが、音録りは虫の音などを避けて、敢えて真冬。街がいちばん静かな、夜遅くからのスタート。榊「真冬の音録りがいちばん辛かったかも。寒くて…」凍えるような寒さの中で、うだるような暑い夏の物語の音を録る。大変ですね。そんな紆余曲折があり、映画の方もそろそろ完成を迎える事となります。
映画が完成したあと、いよいよ上映会の開催。上映会の主催は多摩市で自主上映会を定期的に開催されている、たえのはさんにお願いしました。自主上映会では会場のレンタル料や、チラシの印刷、当日のタイムスケジュール、インターネット予約の手はずなど、すべて自分たちで行っていきます。映画は完成して終わりではなく、上映する人たちによってはじめて観客に届けられます。映写担当や受付、モギリ、会場でのアナウンスなど、撮影と同じく、上映会でもチームワークに溢れた仲間がいました。榊くんも参加して2週間に一度のたえのは会議。会議では常に意見を闘わせる、熱いぶつかりあい。でも、それが終われば皆で軽く一杯。こんなつながりが好きで続けている人も、とても多いのです。少しでも多くのお客さんに来場してもらいたい。と、監督自ら街頭でのチラシ配りを実行。大きな声を出して、自分の映画の宣伝をしていました。
応援団も何か協力したいと思い、「みんなあつまれー」と呼びかけ集結しました。行ったのは『たぬきがいた』のキャラクターのキーホルダー作り。みんなでひとつひとつを手作りしました。世界にひとつのハンドメイドです。当日の上映会場でも、このキーホルダーは大好評でした。2014年12月23日、キャストも久々に集まり、アットホームな雰囲気で初上映を開催する事ができました。
これからもいろんな所で『たぬきがいた』が上映してもらえたら、私たちもとても嬉しいなー。多摩での上映はもちろんですが、地域から飛び出して、映画がジワジワと広がっていったらという願いを持っています。
さてさて、大分長くなりました。未来の話しを少しして、プロダクションノートを終わりにしましょう。榊監督は今、バリアフリー上映に情熱を傾けています。6月頃にバリアフリー上映を、再びベルブホールで開催する準備をしています。音声ガイドもプロの方と協力して、自分たちで原稿を作っています。『たぬきがいた』の企画から上映まで、映画のすべての行程を経験して次に活かしたいのだそうです。そして、バリアフリー上映が一段落すれば、次回作の取材もやっていきたいと言っていました。榊「焦らず、なまけず、自分のペースで次の準備に入ります」との事。榊くんの次の作品も、観たいですね。ガンバレ!これからもみんなで応援していきます。